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gaiyou01.jpg尾張旭市旧新居村に伝承する無二流棒の手の起源は、康安元年(1361年)新居村を開いた水野又太郎良春が、無二(むに)と称して南朝方の僧将(そうしょう)として、吉野山(奈良県)にいたところ、当時の吉野金峰山寺の執行であった吉水宗信法印から真公秘授兵法として、棒術と修験道儀礼を授けられ、新居村に移ると配下の農民に棒術を教え農兵団を組織するとともに、村の祝祭に修験道儀礼をとりいれたとされている。
棒の手が生まれた背景は大別すると農民が自衛のために修練したことに始まる農民武芸説と修験道(山伏)により伝えられた神事芸能設があるが、この無二流は修験者により伝承されたものといえる。

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◆無二流の特徴を表す作法や型については、左右いずれの場合でも前足を伸ばし、
 後ろ足を曲げる型を基本とする。蔵王権現にあやかる姿だとされている。
◆演技に先だって向い合った者同士が左右を上下させ足踏みすると同時に
 左の手首を一回転回す作法がある。
gaiyou02.jpg 一丸爾(いちがんし)と称しているが、
 修験者の作法の返閇(へんぱい)に
 由来するものと言われている。
◆攻めや守りの、ひとつひとつの動作に
 それぞれの名称があり四十八の型がある。
◆これらの型を三角法と称する振付法により
 組み合わせ一連の演技がくまれる。
◆演技の名称は、使用する道具の名称が演技の名称となる。
◆棒合、棒太刀、三人槍などと呼ばれており演技固有の名称はない。

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棒の手保存会の伝承は、昭和に入り継承の中心となっていた
家頭制度や区会制度が廃止されたことにより、
無二流棒の手保存会に受け継がれ今日に至っている。
保存会の組織は旧新居村を区域として、
七分会(大久手、北原山、南原山、東大道、西大道、郷)により運営している。
竜泉寺合宿が途絶えた今日では、例年旧新居村の氏神である
多度神社秋例大祭に欠かすことなく馬の塔とともに300人を超える保存会員により
棒の手を盛大に奉納している。
保存継承を広げる活動としては、年少者への啓発に力を入れ、
子ども会への働き掛けや、小学校の「伝統文化の継承」の授業の講師、
また、地域の方々の後援会活動の活性化など行っており、
市内本地ヶ原地区において新たに協力を得たことにより、
本地ヶ原無二流棒の手保存会が生まれるに至っている。

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これを伝える行事として今日行っているものに、古式といわれる治均式がある。
この治均式は無二流棒の手先祖供養として毎年、
1回のみ12月に保存会の主要な行事として行われている。
中世に成立し真公秘授兵法のうちといわれる。
式の内容は三部からなり、前段は冠士(かんし)と呼ばれる者により、
水切りと呼ばれる作法で、天から神を迎え、棒に宿った神を舞棒士により、
鶴留笈風舞(つるどめ おいかぜ のまい)と称する基本棒を使う作法である。
この時、冠士は途中で衣替えと称し、山伏の姿に変わる。
中段は中入りとなり花棒と呼ばれ、棒、太刀、槍、真剣、鎖鎌等により
一般に行われる演技である。
後段は、棒の長さで計った二間四方に榊を立て舞殿とし
土座亀戸風舞(どざ かめど かぜのまい)と称される四人棒を使う。
これは、村の安全と五穀豊穣を願う作法といわれる。
演技の最後に棒返しと称し降臨した神を返す作法がある。
この一連の演技は返還があったものの廃絶の危機を乗り越え今日まで伝承されている。